なぜ効く?最新「近視進行抑制メガネ」の謎を解明。鍵は”周辺視野のぼけ”にあった

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世界的な課題「子供の近視」と、その光明

スマートフォンの普及や屋外活動の減少などを背景に、子供の近視は世界的な健康問題となっています。一度進行した近視は元に戻らず、将来的に緑内障や網膜剥離といった深刻な眼疾患のリスクを高めることも知られています。この課題に対し、眼科医療の世界では長年、進行をいかに緩やかにするかという研究が続けられてきました。

近年、この分野で大きなブレークスルーが起きています。それが、多セグメント(MS)レンズと呼ばれる特殊な設計のメガネレンズです。Hoya社の「MiyoSmart」を皮切りに、Essilor社の「Stellest」、Zeiss社の「MyoCare」といった製品が次々と登場し、臨床試験で従来のメガネに比べて近視進行を約60%抑制するという驚くべき成果を報告しています。

しかし、ここには一つの大きな謎がありました。これらのレンズは、光学的な設計思想がそれぞれ大きく異なるのです。設計が違うにもかかわらず、なぜ同等の高い効果が得られるのでしょうか?この根本的な問いに、光学的なモデリングというアプローチで鋭く切り込んだ学術論文が、2025年8月に『Biomedical Optics EXPRESS』誌で発表されました。

この記事では、プロのWebライター兼SEOコンサルタントの視点から、この最先端の研究論文を深掘りし、以下の点を専門知識のない方にも分かりやすく解説します。

  • 最新の近視進行抑制メガネは、どのような仕組みなのか?
  • これまで信じられてきた「定説」とその限界とは?
  • 論文が明らかにした「効果の本当の理由」に関する新説とは何か?

この記事を読み終える頃には、最先端の近視治療技術の核心と、その未来像を具体的に理解できるようになるでしょう。


(元の記事の要約):論文が指し示した新たな可能性

今回解説するDavid A. Atchison氏らの研究論文「Off-axis imagery through two multi-segment lenses for myopia treatment」は、Essilor社の「Stellest」とZeiss社の「MyoCare」という2つのレンズに焦点を当て、その光学特性をコンピュータ上で精密に再現・分析しました。

この研究の結論を簡潔にまとめると、以下のようになります。

  • 設計は違うが「像のぼけ方」は似ている: StellestレンズとMyoCareレンズは、レンズ上の微細なセグメントの形状や度数分布といった「光学設計」は全く異なります。しかし、これらのレンズを通して物を見た時に網膜に映る「像の品質」、特に視野の周辺部における像のぼけ(ブラー)やコントラストの低下という点では、非常に似た特性を示すことが明らかになりました。
  • 「周辺視野のぼけ」こそが効果の鍵か: この「周辺視野における像質の低下」という共通点こそが、設計の異なるレンズが同様の近視進行抑制効果を発揮するメカニズムである可能性が高い、と論文は結論付けています。
  • 従来の定説への疑問: この発見は、これまで有力とされてきた「マイオピックデフォーカス理論」(後述)だけでは、この現象を説明しきれないことを示唆しています。

つまり、この論文は「なぜ効くのか?」という長年の謎に対し、「周辺視野に意図的な”質の悪い像”を作り出すこと」が鍵であるという、新たな仮説を力強く提示したのです。


(本編:詳しい解説)

第1章:子供の近視を止める新兵器「多セグメントレンズ」とは?

本編に入る前に、まず「多セグメントレンズ」の基本を理解しましょう。

h3: なぜ近視は進むのか?

近視の進行は、主に眼軸長(がんじくちょう)、すなわち眼球の奥行きの長さが伸びてしまうことによって起こります。眼軸が伸びると、網膜上で結ばれるべき画像のピントが網膜の手前にずれてしまい、遠くの物が見えにくくなります。従来のメガネ(単焦点レンズ)は、このピントの位置を補正してクリアな視界を提供しますが、眼軸長の伸びそのものを抑制する効果は限定的でした。

h3: 3つのレンズ、3つの設計

多セグメントレンズは、この眼軸長の伸びにアプローチするために開発されました。基本的な構造は、通常の視力矯正を行う「キャリアレンズ」と呼ばれるベース部分と、その表面に配置された多数の微小な「セグメント」から成ります。このセグメントが、近視進行抑制の鍵を握る特殊な光学的効果を生み出します。

しかし、その設計はメーカーによって大きく異なります。

  • Hoya MiyoSmart: 直径約1mmの円形レンズレット(微小レンズ)が、ハチの巣のような六角形グリッド状に配置されています。中央にはレンズレットのないクリアなゾーンがあります。
  • Essilor Stellest: こちらも直径1.1mmの円形レンズレットですが、11層の同心円状にびっしりと配置されています。
  • Zeiss MyoCare: レンズレットではなく、C.A.R.E.(円環状屈折素子)と呼ばれる同心円状の「リング」が約30本配置されています。このリングは、半径方向(中心から外側へ向かう方向)にのみ強い度数を持ち、円周方向には度数を持たないという特殊なシリンドリカル(円柱)パワーを持っています。

このように、セグメントの形状(点か線か)や配置(六角形か同心円か)が全く異なるのです。

第2章:これまでの定説「マイオピックデフォーカス理論」の限界

では、なぜこれらのレンズが近視を抑制すると考えられてきたのでしょうか。その最も有力な仮説がマイオピックデフォーカス理論です。

これは、「網膜の中心部ではピントを合わせつつ、周辺部では網膜の手前(Myopic)に意図的にピントをずらした(Defocus)像を形成することで、眼球に『これ以上伸びる必要はない』という信号を送り、眼軸長の伸長を抑制する」という考え方です。多セグメントレンズのセグメント部分は、このマイオピックデフォーカスを作り出すために設計されていると説明されてきました。

しかし、この理論には疑問点もありました。今回の論文で分析されたStellestやMyoCareのように、設計も度数も全く異なるレンズが、なぜ同じような臨床結果をもたらすのか。マイオピックデフォーカス理論だけでは、この点を合理的に説明するのが難しかったのです。

第3章:論文の核心「徹底的な光学シミュレーション」が暴いた真実

Atchison氏らの研究チームは、この謎を解明するために、レイトレーシング(光線追跡法)という手法を用いました。これは、専門の光学設計ソフトウェア(Zemax)を使い、レンズと精密な模型眼をコンピュータ上で再現し、無数の光線がどのように進み、網膜上でどんな像を結ぶかをシミュレートする技術です。

彼らが特に重視したのは、単に正面を見るだけでなく、よりリアルな視覚状況を再現することでした。

  • 周辺視: 正面を向いたまま、横目で物を見る状況。
  • 回転視: 視線を動かし、レンズの中心からずれた部分を通して物を見る状況。

この徹底的な分析から、2つの重要な発見がありました。

h3: 発見1:度数補正(ピントのズレ方)はレンズごとに全く違う

まず、研究チームはレンズを通して物を見た時に、網膜上でどれだけピントがズレるかを示す度数補正を計算しました。その結果、レンズの周辺部で非常に大きな度数ズレ(特に非点収差、つまり縦と横でピント位置が異なるボケ)が生じることが分かりました。

そして重要なのは、そのズレ方がレンズごとに全く異なっていたことです。特にZeiss MyoCareは、他の2つのレンズに比べて桁違いに大きな非点収差を発生させました。もしマイオピックデフォーカス理論が唯一の正解なら、どのレンズも似たような度数補正を示すはずです。この結果は、同理論だけでは説明がつかないことを強く示唆しました。

h3: 発見2:網膜上の「像のぼけ」は驚くほど似ていた

次に、研究チームは網膜に実際に映し出される像の品質をスポットダイアグラムで比較しました。スポットダイアグラムとは、点光源がレンズを通った後に像面でどのように広がるかを示した図で、像の「ぼけ」の形状や大きさを視覚的に表します。

その結果は驚くべきものでした。度数補正は全く異なっていたにもかかわらず、3つのレンズ(Hoya MiyoSmartを含む)が作り出すスポットダイアグラムは、特に周辺視野において、全体的なぼけの大きさと形状が非常に似通っていたのです。どのレンズも、視野の中心から外れると、像質が著しく低下し、大きくぼやけた像を形成するという共通点がありました。

第4章:新説「周辺視野の像質低下」こそが真のメカニズムか

これら2つの発見から、論文は大胆かつ説得力のある結論を導き出します。

近視進行抑制の真のメカニズムは、特定の値のマイオピックデフォーカスを網膜手前に作ることではなく、「周辺視野において、セグメントによって意図的に像の品質を低下させ、ぼやけさせ、コントラストを落とすこと」そのものである可能性が高い、というのです。

なぜ「質の悪い像」が近視を抑制するのでしょうか?明確な生物学的メカニズムはまだ解明されていませんが、一つの仮説として「ピント合わせの手がかりとなる高周波成分(細かい模様など)が欠落したぼやけた像は、眼球がピントを合わせようとすることをやめさせ、結果として眼軸長の伸長という”適応”を抑制するのではないか」と考えられます。

この「周辺視野の像質低下」仮説は、なぜ設計の違うレンズが同じ効果を示すのかを非常にうまく説明できます。レンズレットだろうがリングだろうが、設計がどうであれ、最終的に「周辺視野の像をぼやかす」という共通の結果さえ達成できれば、近視進行抑制効果が得られる、というわけです。


まとめ:定説を覆し、未来の治療法を照らす一歩

今回解説したAtchison氏らの研究は、多セグメントレンズによる近視進行抑制のメカニズム解明において、非常に大きな一歩となるものです。

  • 定説への挑戦: これまで主流だった「マイオピックデフォーカス理論」だけでは説明できない現象を明らかにし、科学的な議論に一石を投じました。
  • 新説の提示: 「周辺視野の像質低下」という、より包括的で説得力のある新たな仮説を提示しました。これは、今後のレンズ設計の指針となる可能性があります。
  • 未来への期待: なぜ効くのか、という根本原理の理解が深まることで、将来的にはさらに効果が高く、かつ子供たちにとってより快適な、新しい近視治療レンズの開発が加速されることが期待されます。

見えない光を操り、子供たちの未来の視力を守るテクノロジー。その背後にある科学的な探求は、まだ始まったばかりです。この分野の今後の進展から、目が離せません。


参考記事

  • Title: Off-axis imagery through two multi-segment lenses for myopia treatment
  • Authors: DAVID A. ATCHISON, W. N. CHARMAN, AND MATT JASKULSKI
  • Journal: Biomedical Optics EXPRESS, Vol. 16, No. 8, pp. 3206-3221
  • Publication Date: 1 August 2025 (Published 16 July 2025)
  • DOI: https://doi.org/10.1364/BOE.558990

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