そのスマホ、魔法の光でできています
今、あなたの手の中にあるスマートフォン。あるいは、日々進化を続けるAI。その驚異的な性能はすべて、内部にある「半導体」という米粒ほどのチップの働きによるものです。そして、半導体が年々パワフルになるのは、その中の電気回路が、原子レベルに近い極限まで微細化され、より多く詰め込まれているからです。
では、一体どうやって、そんな目に見えないほど小さな回路を「印刷」しているのでしょうか?
その答えが、現代テクノロジーの粋を集めた、1台数百億円とも言われる“神の装置”こと「EUVリソグラフィ装置」です。この装置なくして、最先端の半導体は生まれません。
現在、この究極の装置を製造できるのは、世界でたった1社。しかし今、その牙城に、日本の技術が新たな挑戦状を叩きつけようとしています。今回は、次世代半導体の未来を左右する「EUVリソグラフィ」を巡る、熱い開発競争の最前線をレポートします。
ピックアップ記事の要約:次世代の「光」を巡る、国家レベルの競争
今回解説のベースとするのは、日本経済新聞が報じた『次世代EUV露光、対応加速 レーザーテックは独自光源』という記事です。
この記事の核心は、2ナノメートル(1ナノは10億分の1メートル)以降の超微細な半導体を製造するための「次世代EUV技術」の開発が世界的に加速しており、その中で日本の技術が存在感を高めている、という点です。
具体的には、以下の2つの大きな動きが報じられています。
- 現在、EUV装置市場を独占するオランダのASML社が開発を進める次世代機は、超高性能である一方、莫大な価格と消費電力が課題となっている。
- この状況に対し、半導体検査装置で世界トップシェアを誇る日本のレーザーテック社が、装置の心臓部である「EUV光源」を独自に開発している。これは、絶対王者ASMLが握る根幹技術への挑戦であり、業界の勢力図を塗り替える可能性を秘めています。
これは単なる企業間の競争ではありません。国の産業競争力、ひいては経済安全保障までをも左右する、国家レベルの技術覇権争いなのです。
第1章:EUVリソグラフィとは?~見えない光で回路を“印刷”する技術~
この競争の舞台である「EUVリソグラフィ」とは、そもそも何なのでしょうか。
写真の原理で、回路を焼き付ける
半導体製造における「リソグラフィ」とは、平たく言えば「焼き付け」技術です。写真フィルムの原理を想像してみてください。
- まず、回路の元となるパターンが描かれた巨大な設計図、「フォトマスク」を用意します。(写真でいうネガフィルム)
- 半導体の材料であるシリコンウェハーの上に、光に反応する特殊な液体「フォトレジスト」を塗ります。(写真でいう印画紙)
- マスクを通して、ウェハーに強い光を当てて「露光」します。
- 光が当たった部分(あるいは当たらなかった部分)のレジストが化学変化を起こし、その後の処理で不要な部分を洗い流すと、ウェハーの上に回路パターンが転写されるのです。
なぜ「EUV」でなければならないのか
この「光で回路を描く」プロセスで、最も重要なのが「光の波長」です。より細い線を描くためには、より細いペンが必要なのと同じで、より微細な回路を描くためには、より波長の短い光が必要になります。
これまで半導体業界は、様々な工夫を凝らして既存の光(ArF液浸露光など)を使ってきましたが、5ナノメートルといったレベルになると、いよいよ光の波長そのものが太すぎて、線がにじんで描けなくなってしまいました。
そこで登場したのが「EUV(Extreme Ultraviolet:極端紫外線)」です。
EUVは、波長がわずか13.5ナノメートルという、これまでの光より一桁以上も短い“究極の光”です。この「究極に細いペン」を使うことで初めて、現代の最先端半導体を描くことが可能になったのです。
1台数百億円。その複雑怪奇な中身
ただし、EUVの利用は困難を極めます。EUVは、空気やガラスなど、地球上のほぼすべての物質に吸収されてしまう性質を持っています。そのため、装置の内部は巨大な真空チャンバーでなければならず、光の進路を制御するレンズも使えません。代わりに、表面の凹凸を原子数個レベルにまで抑えた、究極に滑らかな「反射ミラー」を何枚も使って、光を導く必要があります。
この超高度な技術要求が、EUV装置を1台数百億円という、歴史上最も複雑で高価な産業機械の一つたらしめている理由です。
第2章:絶対王者「ASML」の独占と、その光が抱える課題
この複雑怪奇なEUV露光装置を、現在、世界で唯一製造・販売できるのが、オランダのASML社です。この完全な市場独占は、同社に半導体業界における絶大な影響力を与えています。
装置の心臓部「EUV光源」の秘密
EUV装置の中でも、特に技術的難易度が高いのが、EUVの光を発生させる「光源」です。ASMLが採用する方式は、まさに神業です。真空チャンバー内で、1秒間に5万回、ミクロなスズ(錫)の粒を射出し、そこに超強力なレーザーを正確に命中させてプラズマ化し、EUV光を発生させます。
しかし、この方式はエネルギー効率が極めて悪く、投入した電力のうち、EUV光として取り出せるのはわずか0.02%程度と言われています。残りのエネルギーはほとんどが熱となり、それを冷却するために、装置全体で巨大な工場一つ分にも匹敵するほどの電力を消費するのです。
第3章:次世代の壁と、日本勢の挑戦
半導体業界は、2ナノ、1ナノへと、さらなる微細化を目指しています。そのためには、より高性能な次世代EUV装置が必要ですが、そこには大きな壁が立ちはだかります。
コストと電力の壁
ASMLが開発を進める次世代の「High-NA EUV」装置は、1台1000億円近くになるとも言われ、消費電力もさらに増大します。もはや、すべての半導体メーカーが導入できるようなレベルではなく、このままでは技術の進化がコストと環境負荷によって阻害されかねません。
挑戦者レーザーテックの「独自光源」
この状況に風穴を開けようとしているのが、日本のレーザーテック社です。同社は、EUVリソグラフィで使う「フォトマスク」に欠陥がないかを調べる検査装置で、世界シェア100%を誇るトップ企業です。
彼らは、いわばEUV技術の周辺を知り尽くしたプロフェッショナルですが、記事によれば、ついに装置の心臓部である「EUV光源」の独自開発に乗り出したのです。これは、ASMLの独占領域への明確な挑戦状です。その狙いは、ASMLとは異なる、よりエネルギー効率の高い光源を開発し、次世代のEUV技術における新たなスタンダードを築くことにあると考えられます。
もう一つの切り札「粒子加速器」方式
さらに記事では、日本の高エネルギー加速器研究機構(KEK)などが進める、全く新しいアプローチも紹介されています。これは、粒子加速器の技術を応用し、電子ビームから高効率でEUV光を生成する「ERL」という方式です。もし実用化されれば、消費電力を現在の10分の1にできる可能性もあるとされ、まさにゲームチェンジャーとなり得る夢の技術として、開発が期待されています。
第4章:この「光を巡る戦い」が、私たちの未来をどう変えるか
この最先端の技術開発競争は、私たちの生活にどう繋がってくるのでしょうか。
- 「ムーアの法則」の延命:
より効率的で安価なEUV技術が生まれれば、半導体の性能向上ペースが維持され、私たちのスマートフォンやPC、そしてAIは、これからも進化を続けることができます。 - 経済安全保障の確立:
半導体は現代の「石油」とも言われる戦略物資です。その製造に不可欠な基幹技術を、特定の一国や一企業に依存する状況は大きなリスクを伴います。日本が独自の選択肢を持つことは、自国の産業を守り、技術的な主導権を確保する上で極めて重要です。 - よりグリーンなデジタル社会へ:
半導体産業全体の消費電力を抑制することは、地球環境問題に対する大きな貢献となります。技術の進化と、環境への配慮を両立させる道筋を示すことにも繋がります。
まとめ:未来を照らす「光」は、誰が灯すのか
最後に、今回のニュースのポイントを振り返りましょう。
- 次世代半導体の製造には、「EUVリソグラフィ」という超高度な技術が不可欠である。
- 現在、その装置はオランダのASML社が独占しているが、次世代機の莫大なコストと消費電力が大きな課題となっている。
- この状況に対し、日本のレーザーテック社などが、より高効率な独自のEUV光源を開発しており、業界の勢力図を変える可能性がある。
- この開発競争は、半導体の未来、経済安全保障、そして地球環境をも左右する、極めて重要な意味を持っている。
1台数百億円の“神の装置”を巡る、静かで、しかし熾烈な開発競争。私たちの知らないところで、未来の世界を照らす「光」を誰が灯すのか、その主導権争いが繰り広げられています。日本の技術が、その中心で再び輝きを放つ日が来るのか、大いに注目していきましょう。
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