写真の歴史が変わる日。ソニー「グローバルシャッター」が、20年来の“デジタル写真の歪み”を消し去った話

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「なぜ、ゴルフクラブがぐにゃりと曲がるのか?」

プロゴルファーのスイング、高速で走り去る新幹線、ヘリコプターのプロペラ…。これらの写真を撮った時、被写体がまるでゼリーのようにぐにゃりと歪んで写ってしまった、という経験はありませんか?

あるいは、晴天の屋外でモデルを撮る際、フラッシュを使うと「これ以上シャッタースピードを速くできません」とカメラに言われ、背景が真っ白に飛んでしまった経験は?

これらは、あなたの腕や機材の故障が原因ではありません。実は、この20年近く、私たちが使ってきたほぼ全てのデジタルカメラが、構造的に抱えていた“宿命的な欠陥”だったのです。

しかし、2023年末、ソニーがその長い歴史に終止符を打ちました。カメラの常識を根底から覆す、「グローバルシャッター」という技術によって。これは単なる性能向上ではありません。デジタル写真における、ひとつの時代の終わりと、新しい時代の幕開けを告げる、歴史的な大事件なのです。

ピックアップ記事の要約:写真の“歪み”と“制約”が、ゼロになる日

今回解説のベースとするのは、AV Watchに掲載された、ソニーのミラーレスカメラ『α9 III』の発表に関するニュース記事です。

この記事が世界中の写真家や技術者に与えた衝撃の核心は、このカメラが「世界で初めて、フルサイズセンサーにグローバルシャッター方式を採用した」という一点に尽きます。

記事によれば、この技術の搭載により、

  1. 高速で動く被写体を撮影した際の、忌まわしい「動体歪み」が完全にゼロになる。
  2. これまで1/250秒程度に制限されていたフラッシュ同調速度の制約が撤廃され、最高1/80,000秒でも同調可能になる。

という、これまで理論上は可能とされながらも、実現は不可能とさえ言われていた“夢の性能”が、現実のものとなったのです。


第1章:すべての歪みの元凶 – 「ローリングシャッター」という呪縛

グローバルシャッターの革命性を理解するために、まず、なぜ今までのデジタル写真が「歪んでいた」のか、その原因である「ローリングシャッター」方式から見ていきましょう。

あなたのカメラは「スキャナー」のように世界を見ていた

私たちが普段使っているスマートフォンのカメラや、ほとんどのデジタルカメラに搭載されているCMOSセンサーは、「ローリングシャッター」という方式で画像を読み込んでいます。

これは、センサーの上から下まで、画素の列を順番に「スキャン」するように、少しずつ時間をかけながらデータを読み出していく方式です。ちょうど、オフィスのスキャナーが、原稿の上から下へゆっくり光を当てて読み取っていく様子を想像してください。

この方式は、構造がシンプルで安価に製造できるというメリットがあり、広く普及しました。しかし、「読み始め(上)と読み終わり(下)に、わずかなタイムラグが発生する」という、致命的な欠陥を抱えていたのです。

タイムラグが生み出す「3つの悪夢」

この時間差が、写真に様々な悪影響を及ぼします。

  1. 動体歪み(ジェロ効果):
    センサーが上から下に画像をスキャンしている間に、被写体が高速で横切ると、センサーの上半分が捉えた被写体の位置と、下半分が捉えた位置がズレてしまいます。その結果、本来まっすぐなはずのゴルフクラブや電車の窓が、斜めに歪んで写ってしまうのです。
  2. フラッシュ同調速度の制限:
    フラッシュの光は一瞬です。センサー全体が完全に露光しているタイミングで光らせないと、写真の一部しか明るくなりません。ローリングシャッターでは、常にどこかの列がスキャン中であるため、センサー全体が同時に光を受け取ることができず、高速なシャッターではフラッシュが使えませんでした。そのため、多くのカメラで1/250秒あたりが限界だったのです。
  3. フリッカー(縞模様):
    LED照明や蛍光灯の下では、照明が人間の目には見えない速さで点滅しています。ローリングシャッターで撮影すると、スキャンする場所によって照明が「点灯」している時と「消灯」している時が混在し、写真に不気味な縞模様(バンディング)が写り込んでしまいました。

第2章:“聖杯”と呼ばれた技術 – 全画素が「同時に」世界を捉える

これらの問題を、たった一つの方法で、すべて根本的に解決するのが「グローバルシャッター」です。

仕組みは「一斉キャプチャー、順次読み出し」

グローバルシャッターの仕組みは、ローリングシャッターの「順番にスキャン」という発想とは全く異なります。

  1. シャッターが押されたその瞬間、センサー上の全画素(数千万個!)が、一斉に、まったく同時に光を受け止め、その情報を記録します。
  2. 全画素は、記録した光の情報を、自身の内部に一時的に保持(メモリ)します。
  3. 光の記録が完了した後で、カメラは初めて、各画素が保持している情報を、上から順番にゆっくりと読み出していきます。

最も重要なのは、「光を捉えるタイミングが、全画素で完璧に同時」であるという点です。読み出しに多少時間がかかっても、記録されたのは寸分違わぬ「ある一瞬」の光景なのです。

なぜ今まで実現できなかったのか?

この理想的な技術は、何十年も前から知られていました。しかし、特に高画素な写真用センサーでの実現は、極めて困難でした。
なぜなら、各画素に「情報を一時的に保持するメモリ機能」という、余分な電子回路を追加する必要があったからです。この余分な回路が、画素の中で光を受け止める部分(フォトダイオード)の面積を圧迫し、画質の低下(感度やダイナミックレンジの悪化)を招いてしまうという、深刻な副作用があったのです。

ソニーは、センサーの構造を立体的に積み重ねる「積層型構造」をさらに進化させることで、画質を犠牲にすることなく、このメモリ回路を搭載することに成功。ついに、長年の夢を実現させたのです。


第3章:写真の常識が変わる – グローバルシャッターがもたらす「3つの革命」

この技術は、写真家を長年縛り付けてきた制約から、彼らを解放します。

革命①:歪みからの解放 – “真実の瞬間”が写る

もはや、どんなに速く動く被写体も、ありのままの形で写し撮ることができます。野球のバットがしなる本当の形、鳥が羽ばたく翼の軌跡、レーシングカーのタイヤ。写真家は、もう機材の限界によって歪められた「嘘の姿」を見る必要がありません。これは、スポーツや野生動物、報道といった分野において、まさに革命的な進化です。

革命②:光の制約からの解放 – 日中シンクロの概念が変わる

「フラッシュ同調、全速1/80,000秒」。これは、フラッシュ撮影の常識を完全に破壊するスペックです。
これまで、真昼の屋外でフラッシュを使う際、背景を暗く落として被写体をドラマチックに浮かび上がらせるような撮影は、非常に高度なテクニックと高価な機材が必要でした。しかしこれからは、誰でも簡単に、速いシャッタースピードで背景の明るさをコントロールし、フラッシュで自在に光を作り出すことが可能になります。クリエイティブなポートレート撮影の可能性が、無限に広がります。

革命③:人工照明からの解放 – どんな光の下でも完璧な一枚を

コンサートホール、体育館、記者会見場…。厄介なLED照明によるフリッカーに、頭を悩ませる必要はもうありません。どんな照明環境であろうと、カメラは常に見たままの安定した映像を記録します。これは、静止画だけでなく、動画撮影においても絶大な恩恵をもたらします。

まとめ:カメラが、ようやく「時間」を完全に止められた日

最後に、今回のニュースから見えてくるポイントをまとめましょう。

  • 従来の「ローリングシャッター」は、センサーを上から順にスキャンするため、動体歪み、フラッシュの速度制限、フリッカーという根本的な欠陥を抱えていた。
  • ソニーが実現した「グローバルシャッター」は、全画素が完全に同時に光を記録することで、これらの問題をすべて根本的に解決する、まさに“聖杯”と呼ぶべき技術である。
  • これにより、写真は「歪み」「光の制約」「縞模様」という長年の呪縛から解放され、写真家はこれまで不可能だった領域の表現を手に入れた。

ソニーのα9 IIIが搭載したグローバルシャッターは、単なる新機能の追加ではありません。それは、デジタルカメラが誕生して以来、ずっと不完全だった「時間を止める」という行為を、初めて完璧な形で成し遂げた、歴史的な一歩です。

カメラは、ようやく真の意味で、私たちの世界の一瞬を、歪みなく永遠に切り取ることができるようになったのです。


参考記事

[1] ソニー「α9 III」、世界初のグローバルシャッター搭載フルサイズミラーレス。歪みゼロ、全速フラッシュ同調 – AV Watch

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